レボー、プロヴァンスの紋章

プロヴァンスの紋章

フランスの自治体のマークや旗には、必ず誇らし気に紋章が使われていて、絵葉書なんかにもプリントされているから、とても気になっていました。デザインや色合いが豊富で実にかっこいい。それらを調べてみると、その土地の歴史やかつての領主の姿が見えてくるという、ロマンも詰っているのです。

ちなみにフランス語では「紋章」を"blason"といいます。あるいは"armes"(第一義は武器)または"ecusson"(ワッペン、盾形紋)ともいいますが、これは中世の戦場で敵味方やその戦功を見分けたるために、盾に模様を描いたものが紋章に発展したからです。図章がシンプルなものほど歴史が古いと言われています(日本でいう源平の紅白)。また「旗」を"drapeau"といいます。

ヨーロッパ以外で家の紋章が発達してるのは日本のみとのこと。日本もイチョウとか漢字をあしらったマークではなく、大名の家紋を使えば、もっと自分が住んでいる土地に愛着が涌くのにもったいない、と。両国とも貴族制を否定している点、国章がない点で共通しているのに…この違いは何でしょう?

※以下、紋章サイト"GASO,la banque de blasons"より参考・引用

▼もくじ
旧プロヴァンス地方の2つの紋章旧プロヴァンス地方の紋章の変遷PACA地域圏の紋章PACA地域圏の歩みエクサンプロヴァンス市の紋章サッカーチームのロゴと街の紋章

参考リンク|オススメ図書


 

旧プロヴァンス地方の2つの紋章


プロヴァンスに行くとまず目にするのが2つの紋章。どちらも中世プロヴァンスの領主の紋章です。 旧プロヴァンス地方の紋章と、PACA地域圏の旗とで使い分けられています。

アラゴン王ウルヘル家
プロヴァンス伯カペー・アンジュー家
アラゴン王の紋章
プロヴァンス伯の紋章
1125年〜1246年
1246年〜1481年
「黄地に赤い縦4本線」
d'or aux quatre pals de gueules
「青地に黄百合と上に赤いランベル」
d'azur a la fleur de lys d'or surmontee d'un lambel de gueules
FCバルセロナの紋章1125年に婚姻によってプロヴァンスの領土を手中に収めたバルセロナ伯レモン・ベランジェ3世によってもたらされました。その由来は、先祖がシャルルマーニュとともに戦い傷を負った時に、金色の楯の上に指で血の線を描いたとの伝承によります。ちなみに、アラゴン王家とバルセロナ伯家が連合したため、スペイン・カタルーニャ自治州アラゴン自治州バレンシア自治州も似たような紋章(縦縞ではなく横縞)をベースにしています。また、サッカー強豪FCバルセロナヴァレンシアCFもこの赤と黄のストライプをエンブレムに使っています。
PACA地域圏の旗では、このアラゴン家の紋章が使われています。
1246年にバルセロナ伯の相続者と結婚し、プロヴァンスを手中に入れたアンジューおよびメーヌ伯シャルル1世(1226-1285年)に因ります。彼はフランス王ルイ8世の第10子にして聖王ルイの弟にあたり、その紋章はフランス王家の親族の証「青地に散りばめた黄百合と上に赤いランベル」。後に簡略化され、黄百合は一輪になりました。
1482年にフランスに併合されたプロヴァンス伯領は、1486年に議会をエクスに持ち、フランス王に任命される非世襲の知事を持つプロヴァンス地方となりました。
旧プロヴァンス地方の紋章では、このカペー・アンジュー家の紋章が簡易化されたものが使われています。

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旧プロヴァンス地方の紋章の変遷


その土地の紋章と領主には密接な関係にあるようです。もう少し掘り下げてみましょう。中世、プロヴァンスの領主は「プロヴァンス伯」と呼ばれ、名目上は神聖ローマ帝国に属しつつ、独立性を保っていました。1482年にフランス王国に吸収されると、プロヴァンス地方となり地方議会が設置されました。市民革命で旧地方は解体され、1970年に現在のプロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏が成立しました。

ボゾン家
アルル伯、プロヴァンス伯、トゥールーズ伯
トゥールーズの紋章
10〜11世紀のボゾン家によるプロヴァンス王朝時代、エンブレムとして「金の十字架」が使用されていました。このエンブレムはギヨーム4世(1037年没)の墓石に刻まれています。
ギヨーム4世には世子がなかったため、妹のエマに領主権を譲りました。エマがトゥールーズ伯ギヨーム・テルフェールに嫁ぎ、その子孫にプロヴァンスの領地とエンブレムを引き継ぎます。
こうしてエンブレムは「トゥールーズ十字」と名づけられました。
ウルヘル家
アラゴン王、バルセロナ伯、プロヴァンス伯

伝説によれば、フランク王の禿頭王シャルルがノルマン人の侵入を押し返すべく立ち上がり、バルセロナ伯ヴィフレドに応援を頼みましたが、戦闘中に負傷してしまいました。シャルルはすぐさま病床に駆けつけ、償いを申し入れました。すると ヴィフレドは黄金の盾を取り出し、フランク王にこう言いました。「偉大な王シャルルよ、フランス国土のために私が負傷したと、このバルセロナの盾の上に証明してくれ」。そこで、シャルルは4本の指についた、ヴィフレドの血で、縦に4本の線を引きました。その後、バルセロナ伯家とアラゴン王家は通婚を重ねて連合。こうして、アラゴンのエンブレム「黄地に赤い縦4本線」ができました。

1112年
バルセロナ伯ヴィフレドの子孫にあたるレイモン・ベレンジェ3世が、プロヴァンスの女王ドゥースと結婚します。2人の子孫が1世紀以上に渡ってプロヴァンスに君臨し、プロヴァンスやアラゴンなど複数の領地にその紋章を残します。

1125年
アラゴン・カタルーニャ連合王家からプロヴァンス伯(COMTES DE PROVENCE)が正式に任命されました。このときの相続争いの結果、トゥールーズ伯にデュランス川以北のコンタ・ヴネサンとフォルカルキエが割譲され、プロヴァンス侯となりました。

1160年
バルセロナ・プロヴァンス伯がアラゴン王として即位
1181年
プロヴァンス伯に従属していたオランジュ伯領が公国として格上げ
カペー・アンジュー家
アンジュー伯、メーヌ伯 、プロヴァンス伯 、ナポリ王

紋章の右側の「青地に百合」はフランス王家カペー朝もしくはヴァロワ朝の紋章。赤の格子線で親戚であることを示します。紋章の左側の「白地に十字」はエルサレム王の紋章。左右を合わせて、「フランス王家に連なるエルサレムの王」ということになります。

1246年
プロヴァンス伯レイモン-ベレンジェ5世(COMTE RAIMOND-BERENGERV)の娘ベアトリス(BEATRICE)が、フランス王・聖王ルイ9世(ROI SAINT LOUIS)の弟アンジュ伯シャルル(CHARLES D'ANJOU)に嫁ぎ、プロヴァンスはカペー・アンジュー家の所領となりました。
1262年
シャルルがナポリ王となると、プロヴァンス伯領はナポリ王国に合併されました。
1309年
コンタ・ヴネサンに教皇が動座、7代70年に渡ってフランス王の支配下に置かれることになります(教皇のバビロン捕囚)。1377年に教皇庁はローマに戻されるも、アヴィニョンに対立教皇が立てられ1417年まで教会大分裂(大シスマ)が続きます。
1382年
プロヴァンス伯ジャンヌ(REINE JEANNE)暗殺。
ヴァロワ・アンジュー家
アンジュー伯、メーヌ伯 、プロヴァンス・フォルカルキエ伯 、ナポリ・エルサレム王

カペー・アンジュー家の血筋が途絶え、ヴァロワ・アンジュー家がプロヴァンス伯領を引き継ぎました。そのため紋章も微妙に変化。

1382年
暗殺されたジャンヌに世継ぎがなかったため、継承権はフランス王シャルル5世(ROI CHARLES V)の弟アンジュ伯ルイ1世(LOUIS1er D'ANJOU)に移って、プロヴァンス伯領は2つ目のアンジュー家(ヴァロワ・アンジュ家)の所領となります。
1388年
ニースを中心としたヴァール川以東のプロヴァンスが、先の家督争いに嫌気がさして、地中海への野心を持つサヴォワ伯(神聖ローマ帝国の封建家臣)の庇護下で半独立。1526年、「ニース伯爵領」と命名されました。
1434年
善良王ルネ(RENE D'ANJOU/LE"BON ROI" RENE)が即位。黄金時代を経て、その繁栄は、甥のシャルル・デュメーヌ(CHARLES DU MAINE)まで続きます。
1481年
シャルル・デュメーヌが死去、フランス王国に遺贈の遺言。
1482年
フランス王ルイ11世(ROI LOUIS XI)がフランス王国の一部としてプロヴァンス伯領を吸収。
フランス王国
王政〜市民革命

プロヴァンス伯の紋章を簡略化して、プロヴァンス地方の紋章としました。

1486年
正式にフランス王国プロヴァンス地方として承認。
1713年
オランジュ公国がフランス王国に統合
市民革命後(第一共和制〜第4共和制)

市民革命によるブルボン王朝の廃止、貴族や教会から没収した土地の再分配に伴い、地方が解体され県が設置されます。その後、徐々にフランスの国境線が現在のものになっていきます。

1790年
プロヴァンス地方からは、ブシュ・デュ・ローヌ、ヴァール、バス・アルプの3県が成立。
ドフィネ地方からは、オート・アルプ他2県が成立。
1793年
コンタヴネサン(ローマ教皇領)を吸収、ヴォークリューズ県が成立。
1860年
第二帝政下、イタリア統一に伴うトリノ条約によって、ニース伯爵領がフランスに譲渡され、アルプ・マリティム県が成立。
PACA地域圏
フランス第5共和制
PACA地域圏の紋章
地方分権化政策により地域圏が成立。プロヴァンス、ドフィネ、ニースなど歴史・文化の違う旧地方が1つになったことを示す図章が考案されます。

1964年
「プロヴァンス・コルス・コートダジュール(PCCA)」地域圏が成立。
1970年
「プロヴァンス・アルプ・コートダジュール(PACA)」地域圏が成立。
1974年
PACA地域圏地方議会が成立。
1999年
12月1日より、現在の図章を採用。

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プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏の紋章

1999年に採用されたPACA(プロヴァンス・アルプ・コートダジュール)地域圏の旗には、構成する6県のベースとなった3つの旧地方の紋章を見ることができます。すなわち、紋章の左側(赤と黄のストライプ)がアラゴン王の紋章(旧プロヴァンス地方を示す)、右上(魚でなくてイルカ)がドフィネ地方、右下(ワシ)がニース伯爵領(サヴォワ公国)です。
ちなみにフランス語で「旧地方」は"province"、「地域圏」は"region"となります。

PACA地域圏の旗の由来

【左】
赤と黄のストライプはプロヴァンス伯(アラゴン王)の紋章から

【右上】
イルカはドフィネ地方の紋章から

【右下】
ワシはニース伯領の紋章から


PACA地図紋章具体的には、プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏の6県のうち、ブシュ・ド・ローヌ県とヴァール県とオート・プロヴァンス県が旧プロヴァンス地方、オート・ザルプ県が旧ドフィネ地方、アルプ・マリティム県が旧ニース伯爵領ということになります。

そう、PACA地域圏の名称通り、プロヴァンス、アルプス、コートダジュールにそれぞれ対応するわけで、ちょうど紋章の配置も、西にプロヴァンス、北東にドフィネ、南東にニース、という地理に由来しているのでしょう。地図にPACAの旗を重ねると右の図のようになります。

 


ところで、もう1県忘れてはいけません。ヴォークリューズ県はコンタ・ヴネサン教皇領とオランジュ公国にあたりますが、なぜかPACA地域圏の紋章には出てきません。


PACA地域圏を構成する6県


【プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏】1970年〜


「アラゴンの紋章」(左)と「ドフィネのイルカ」(右上)と「ニースの鷲」(右下)

┌─────────┬─────────┬────┴────┬─────────┬─────────┐

【オート・プロヴァンス県】
(04)
1790年〜
旧プロヴァンス地方の紋章をベースに、アルプスの山をイメージ
【ブシュ・ド・ローヌ県】
(13)
1790年〜
旧プロヴァンス地方の紋章をベースに、ローヌ河口をイメージ
【ヴァール県】
(83)
1790年〜
旧プロヴァンス地方の紋章をベースに、ヴァールのVをイメージ
【オート・ザルプ県】
(05)
1790年〜
上部はプロヴァンス伯、左下は旧ラングドック地方、右下は旧ドフィネ地方
【アルプ・マリティム県】(06)
1860年〜
ニース伯領の紋章を踏襲

【ヴォークリューズ県】(84)
1793年〜
鍵は教皇、右上は旧プロヴァンス地方、左下はオランジュ公の紋章

└──────┼──────┘

【旧プロヴァンス地方】

〜1790年

【旧ドフィネ地方】

〜1790年
【旧ニース伯領】

1388(1526)年〜1860年
【旧コンタヴネサン教皇領】

1309年〜1791年
【旧オランジュ公国】

1181年〜1713年

 

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プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏の歩み


1790年 プロヴァンス地方は市民革命時に解体され、ブシュ・デュ・ローヌ、ヴァール、バス・アルプの3県となった。また、ドーフィネ地方が解体され、オート・ザルプ県ほか2県が作られた。

1793年 アプトとオランジュの両地区はブシュ・デュ・ローヌ県から切り取られ、アヴィニョンとともにヴォークリューズ県を構成することになった。
1860年 グラースとサン・ポール・ド・ヴァンスの両地区はヴァール県から切り取られ、ニース伯爵領とともにアルプ・マリティム県を構成することになった。
ニースの紋章
1964年 地方分権化政策のもと、南東の地中海沿岸部の県を集めて新しい地域圏が作られた。この地域圏が「プロヴァンス・コルス・コートダジュール(PCCA)」であった。
1970年 コルシカ独立主義者の要求運動により、コルシカが単独地域圏となる。PCCAは残りの県で「プロヴァンス・アルプ・コートダジュール」となった。
1974年 PACA地域圏に地方議会が成立。
1997年 PACA官公庁の旗は地中海を表す三本の波線の上に6県を描いたロゴに。
1999年 12月1日より地域圏議会は「アラゴンの紋章」と「ニースの鷲」と「ドフィネのイルカ」を混ぜた旗を公式採用。

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エクサンプロヴァンス市の紋章


私の遊学していたエクサンプロヴァンス市(ブシュ・ド・ローヌ県)は、プロヴァンス伯領の都として発展してきました。特に、ルネ王は「善良王"Rene le bon"」と呼ばれ、その治世(1434〜80年)はプロヴァンスの最もよき時代として記憶されています。エクスにたくさんの貴族が住み、彼らをパトロンとして芸術家が集まり、絵画、音楽、文学といったプロヴァンス文化の中心地となりました。それを誇るかのように、市庁舎の旗からマンホールの刻印にまで、1434年以来の紋章が、街のいたるところに使われています。 エクサンプロヴァンスの紋章 紋章のステンドグラス


【上段中】ナポリ王の紋章
d'azur seme de fleurs de lys d'or brise en chef d'un lambel de cinq pendants de gueules,
【上段左】エルサレム王の紋章
d'argent a la croix potencee d'or cantonnee de quatre croisettes du meme,
【上段右】アンジュー家の紋章
d'azur seme de fleurs de lys d'or a la bordure de gueules.

【下段】アラゴン王の紋章
D'or aux quatre pals de gueules ; au chef tierce en pal.

紋章の銘は"generoso sanguine parta (issue d'un noble sang)"=「高貴な血を引く者」 。
下段のアラゴン王の紋章は、1184年、アラゴン王にしてプロヴァンス伯のアルフォンソ2世によってエクスにもたらされた。
上段のエルサレム王、ナポリ王、アンジュー家の3つの紋章は、1434年、アラゴン王にしてシシリア王のアルフォンス5世からマルセイユを守ったエクスの人々の貢献に感謝して、プロヴァンス伯のアンジュー家ルイ3世によって付け加えられた。

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サッカーチームのロゴと街の紋章


サッカーのチーム・エンブレムやチーム・カラーには、その街や地域の紋章の強い影響が見受けられ、地域密着型だということがよくわかります。紋章の発生理由と同様に、チームのシンボルとして、共同体の結束と歴史的伝統文化などアイデンティティを象徴するのにもってこいなのでしょう。エンブレムも紋章も、小さなデザインの中に大きなストーリーが込められていて、実に興味深く面白いものです。

チーム・エンブレム
紋章
概要
OMのロゴ
オランピック・ドゥ・マルセイユ
マルセイユの紋章
マルセイユ市

フランス最古の都市マルセイユの名門チーム。1980年後半から90年代初めにリーグ4連覇を達成。エンブレムは「Olympique de Marseille」の頭文字のOとMが、チームカラーの水色と白でデザインされている。マルセイユは4つのチームが合併して出来たチームで、その中の1チームのモットー「ゴールに向かって突き進め Droit au but」が中心に掲げられている。星は欧州カップ優勝を表す。チームの愛称は「OM」で、ユニフォームは白地に水色。

設立年 1899年
ホームスタジアム ヴォロドローム(60000人)
リーグ優勝8回
フランスカップ優勝10回

ASモナコのエンブレム
ASモナコFC
モナコの紋章
モナコ公国

世界で2番目に小さい国モナコの古豪チーム。地理的、歴史的経緯によりフランスリーグに所属している。エンブレムにはモナコの王冠が描かれ、金で縁取られた盾の中に、正式名称「Association Sportive de Monaco Football Club」の頭文字ASM FCと、チームカラーの赤白のストライプを配置。赤白の色は13世紀以来モナコを支配してきたグリマルディ家の色に由来し、1818年に国旗に制定された。ユニフォームは以前はストライプだったが、現在は故グレース・ケリー公妃のデザインとなっている。

設立年 1924年
ホームスタジアム ルイ2世(18524人)
リーグ優勝7回
フランスカップ優勝5回
リーグカップ優勝1回

ニースのロゴ
OGCニース
ニースの紋章
ニース市

コートダジュールの女王ニースの中堅チーム。一見カラスに見える鳥はワシ。15世紀に誕生したニース市の紋章は、黒い島と王冠を載せたワシ。そのためチームの愛称も「ワシAigle」で、ユニフォームも赤黒のストライプ。ボールを縁取る赤枠には、正式名称「Olympique Gymnaste Club de Nice Cote d'Azur」の頭文字OGCNが刻まれている。

設立年 1904年
ホームスタジアム ムニシパル・ドゥ・レ(18500人)
リーグ優勝4回
フランスカップ優勝3回


→関連ページ
基本編「プロヴァンスの生活」>「人気のスポーツ

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参考リンク

 
  GASO,la banque de blasons
紋章バンク。フランスをはじめ、ヨーロッパの紋章とその解説。
   

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オススメ図書

プロヴァンスだけにとどまらず、フランスやヨーロッパ各国には紋章が日常にあふれているから、ちょっと知っているだけで旅行の楽しみが増す。

プロヴァンス 碧い海と碧い空と…
田辺 保 恒星出版

大阪市立大学名誉教授の著者が、前半部分では「ローマ時代」「キリスト教伝来」「中世」といった歴史や、後半部分では「ペトラルカ」「ミストラル」「ドーデ」「パニョル」「ジオノ」といった文学者などを通して、プロヴァンスの魅力を丁寧に紹介。歴代プロヴァンス伯についても。
プロヴァンスの入門書として最適。旅行ガイドの次に買うならこれ。リピーターや留学生は必携。
ちなみに、イラストを担当した娘さんの作品は、Keiko Tanabe Web Siteに続々発表されている。


紋章の歴史―ヨーロッパの色とかたち
ミシェル・パストゥロー 創元社

ヨーロッパを旅行すると、あらゆる場面で遭遇する紋章。
公共施設、建築美術、文学、個人邸、車など日常にあふれている「歴史のあるロゴ」の、豊富な色彩や図柄の意味を知りたいと常々思っていた。
本書は、紋章の歴史、紋章の図柄と色彩、学問としての紋章など、紋章に関する基礎知識が、要点を抑えて簡潔に説明されている。この小さな記号デザインにこめられている情報が、とても大きいことを教えてくれる。 また随所にカラーの図や写真がふんだんに使われていて、視覚的にもとても理解しやすい。中でも、15世紀のプロヴァンス伯(アンジュー公)ルネ王による「騎馬試合の書」のイラストが素晴らしい。さらに巻末には紋章用語集もついている。次のヨーロッパ旅行が楽しみになる本だ。デザインをしている人にとっても大いに参考になるだろう。


世界のサッカーエンブレム完全解読ブック
斉藤 健仁、野辺 優子 (著) ニ文庫

ヨーロッパの主要リーグ(イタリア、スペイン、イングランド、ドイツ、フランス、オランダなど)のクラブチームや世界の強豪国の代表チームの胸に輝くエンブレム。マルセイユのキャッチフレーズの由来、モナコのユニフォームのデザインの由来、ニースの愛称の由来など、デザインだけにとどまらず、その作成のいきさつ、チームの歴史、地域とのかかわり、社会・文化などが簡潔に解説されていて面白い。街の紋章と同様、小さなエンブレムに大きなストーリーが込められているのがわかり、今までとは一味違った角度でサッカーが楽しめる。


ヨーロッパの文様辞典
視覚デザイン研究所 (編集) 視覚デザイン研究所

文字よりも古い歴史をもつ人間の発明「文様」。
それぞれに意味や時代の好みがあるようだが、日本人の私にはチンプンカンプンだ。
本書は、動植物、幻獣、人物といったヨーロッパ諸国の工芸品などに使われている様々なモチーフを、ササン朝からアールデコまで網羅。写真や解説図をふんだんにつかってテーマ別・時代別に分類し、さらに時代背景やルーツまで詳説されているため、基礎知識が深まる。洋の東西の共通点や相違点も、興味深い。
大判であるため持ち運びには向かないが、例えばヨーロッパ旅行で出会った文様を帰国してから調べるための参考資料として、ぜひ手元においておきたい一冊だ。パラパラと眺めているだけでも、人間の想像力を巡る旅のようで、面白い。


まだまだオススメ本あります→プロヴァンスに関する本

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